「どきっ。おぉーおぉー、あんた何様なの? わしゃ、もう、ブログ、正直、ちと飽きているのだ。お小説に関しては、もじもじ。書いても書いても出版の当てがない。ふんっ、嫌だね、お断りする」
「では、ハウツーものは?」
「ものによる」
「ふふふ、編集部内部で絶対にセンセが適任といわれているテーマがあるのですよ。はい、どうしたらこれほどアクセスが少ないブログを生み出せるのか。もう、高度な技術に支えられているとしか解釈の仕様がないのです」
「むふ、そんなに褒められると心が揺らぐねぇー。うんうん。で、マミちゃんの心の準備はできているの? ご両親にはお話したの?」
「センセ、なんか勘違いしてません?」
「えっ? 高度な技術ちゅうとこが琴線に触れちゃったぁー。まあ、そういうことだよ、高橋君。僕はねぇー、三年間、ずっと一桁読者をキープし続けてきた。多い日で9。少ない日で2。あと少しなのだ0まで・・・」
「そのノウハウを是非」
「ふひひひひ。たとえばね。そのだな、世間で盛り上がっていることは書かないわけね。たとえば、ラグビーのワールドカップとか、ジェームズ・ボンドの新作を息子と見てきたこととかね。でね、まあ、書いてもいいのだけれど、検索エンジンに引っ掛からないタイトルにするわけ。日本対南ア戦観戦日記とか、スペクターはスカイフォールを超えたかとか・・・。私的には前者のタイトルは、楕円のボールになるし、後者は筋肉質の男となる。これで検索エンジンに引っ掛からなくなるし、詩なのかエッセイなのか、なんについての記事なのか、なんだか分からないからアクセスをしようという食指が沸いてこない。それから、うーーーんとくだらないか、高尚にするか、諸々の文体を駆使するから、水戸黄門を見るような感じにはならん。で、新規にたまたま任意の記事に当たる。超くだらない記事に当たれば、あまりのくだらなさにリピート意欲はなくなる。たまたま高尚な記事、パリのラーメンの構造主義的分析なぁーーーんていうのに当たる。難解過ぎて辟易する。つまり、中間帯がないわけね。こりゃー、俺だって読まん、そんなブログ」
「センセ、その辺りのノウハウを是非是非、お願い致したく・・・」
「あらっ、そう。書いちゃっても吝かじゃねぇーぞ。どうして私のブログのアクセスが0になったのか。いいねぇー、高度な技術ねぇー、孤高のブロガー、いいねぇーーー、読者0なんだから、本物の孤高だよねぇーーー。もう、書いちまうっ、わたくしは高校卒業時、どん尻、びり、
ブービー。一番になる奴も、そりゃー半端ではないが、このビリー・ザ・キッドも並大抵の努力では達成でけんのだっ、高橋君。試験の順位が、その学年の生徒数。こんな分かり易い順位は他にはないっ! 一番の松本武則とは、今以て親友なのだ。ここにもメビウス現象が顕著なのだっ、高橋君っ!」
編集部 こういうお自慢って、裏でも表でもないからメビウス自慢と判断せざるを得ない
「おい、イサオ。くだらん記事書いてないで、さっさと会場に来いよっ」